記憶を撫でる森の風

森で迷った私は、あの頃にだけ感じた見えない気配を夕暮れに再び感じた。
それは精霊の声と混ざり合い、過去の自分の心が形を持ったように寄り添ってくれる存在。
今も、ここにいることが風や光を通して示され、私は再び歩みを取り戻す。


旅の途中で立ち寄った小さな森の中、私は陽が沈む前に道に迷ってしまった。

「大丈夫、ここは君を傷つけない」

不意に聞こえた声は、森のざわめきよりもやわらかく、どこか懐かしかった。

「ほら、あの頃みたいに深呼吸してみて」

私は言われるままに息を吸い込むと、草と風の香りが胸の奥をほぐしていった。

「そう、その感じ。君がよくやってたでしょう?」

あの頃、誰にも見えない存在と話していた記憶が、ふと蘇る。

「忘れていたわけじゃないよね、ただしまっていただけ」

足元の苔がぼんやり光り、まるで小さな道標のように私を導いてくれる。

「迷っても、こうして戻って来られる場所はあるんだよ」

「……あなたは、あの頃そばにいた森の精霊?」

「形はひとつじゃないよ。君が必要とする姿でそばにいるだけ」

風が頬を撫で、遠い記憶と森の温もりが一緒に混ざり合う。

「君がひとりで泣いてた時も、ちゃんと見てた」

木々の影が揺れ、夕暮れの光が優しく道を照らし始める。

「だからね、迷ったって悪いことじゃないの」

心の奥の重さがふっと軽くなり、私は自然と歩みを進めていた。

「歩くのをずっと待っていたよ」

森の出口が見えた瞬間、風の音がまるで祝福するように弾んだ。

「私はそこにいるし、これからもずっと、君のそばにいる」

おわり

コメント

タイトルとURLをコピーしました